祭りの後or後の祭り2004/07/06 23:43


ユーロ2004はダーク・ホースのギリシャがポルトガルを1-0で押さえて初優勝。長い大会期間と思っていたがお祭りはすぐに終わってしまう。ポルトガルを応援していたので正直負けてしまって残念ではあるが、優勝候補と言われていた国が次々と脱落して意外な国が強さを見せたという点で面白い展開だったと思う。優勝したギリシャは地味だとか戦い方が守備的だとか言われていたらしいが、確かに華やかさは足りないかも知れないとは言え強豪国を相手に延長戦になっても終始落着いてがっちりと守りを固め、チャンスと見ると相手が体勢を整える間もなく電光のごとく突っ込みものにする、という判断はそれだけの積み重ねを経てきたからこそできるのだろうし、あの選手あの監督だからこそできたことなのだろう。ポルトガルもルイコスタを出すタイミングをもう少し早くしていたらもしかして違う流れにならなかっただろうか...と思わないこともないのだが、今回はそういうことも全て含めてギリシャに風が吹いたのかなとも思う。彼らにとっては色々な意味でこれからが大変なのかな。とにかくおめでとうギリシャ。

ギリシャと言えば、遠い昔の学生時代に学部主催の大所帯パックツアーヨーロッパ6ヶ国20日間文明開化の軌跡を辿るツアーで2,3日間だけ立ち寄ったことがある。8月後半の強く乾燥した陽射しに葉が白っぽく見えるオリーヴの樹が点々と生えた低い山が連なり、楕円型の大きな西瓜を山積みにしたトラックが埃っぽい道を進むわたしたちのバスの前をのんびり走っていた。首都のアテネはあまり建造物の規制がないのか、あまり日本と変わらないコンクリートの建物がそのまま古くなって寂れたような街角も多く、アクロポリスの丘だけが何か別世界のもののように中心にそびえ立っていた記憶があるが、フェリーで回った近海の小島は白い壁の家が段々に連なり、エメラルド色の海に鮮やかな赤やピンクの花が映えて、まさに憧れのギリシャという感じだった。

ガイドさんの説明によるとギリシャの人達は(少なくとも当時は)日本人を勤勉な国民として好意的に見ているということで、実際に(集団ツアーで最小限接触するような)多少やり取りをした人達は皆にこやかで当たりが柔らかかった(特に日本人と分かって相手をしていたわけではない人もいると思うが)。市内中心部の広場を一人で歩いていたら通りかかった男の子連れのお父さんが(頼んでもいないのに)そこの銅像の前で写真を撮ってあげる(なんか物凄く速く走っている人の残像もそのまま銅像にしたようなかなり怖い像だった)と言ってくれたり、クルーズ船では船内にいるのが勿体なかったので甲板をあちこち歩き回っていたら船員さんに操舵室に招かれ、舵を握らせてもらったり眼前に広がる海が一望できる窓のところに座らせてもらったりとサービス満点だった。多分中学生くらいの子が船に乗ってはしゃいでいると思われたのだろうなあ。

とか何とか書いていたらギリシャに行きたくなってきた。あの時は典型的団体ツアーで目まぐるしく要所要所を回っただけだったが、もっとゆっくり滞在して自分のペースであちこち回ったらきっともっと楽しいだろう。ザゴラキスやニコポリディスみたいな兄さんおじさんが目白押しかも。...かなり行きたいぞ、ギリシャ。


全然関係ない(と思う)のだが二週間くらい前にいきなりどこかから出てきて忘れられない名前。 「パパンドロス」って誰だっけ...心当たりのある方こっそり教えて下さい。