女の園2005/08/23 23:52

夜中に放送していた映画『女の園』を夜明けまで観てしまった。木下恵介監督。1954年作品で、古風で厳格な女子校(『大学校』とあったが二年制の女子大?)を舞台にして、様々な出来事を通して女子学生達が大学側のやり方に反抗して立ち上がるまでを描いたもの。いや、何と言うか、「どーしよう」というのが率直な感想。観終わった後、と言うよりは観ている最中も、決して悪い意味ではなくあちこちで「どーしよう」「いや、ちょっとどーしようこれ」と思ってしまうのだ。勿論白黒で時代背景も今とはかなり違っているし、俳優達の喋り方なども当時の一種独特な調子なのだが(その頃は一般的に皆口先で早口に喋ってたわけじゃないよな...)、だれた感じがないと言うのか、一種サスペンスもの(二時間ドラマを指しているのではなくってよ)的な緊張感もあって最後まで引張って行かれるというところだろうか。音楽も何だかドラマチックで緊迫感があるし、筋も今一つ読めないので、時々挟まる汽車の車内で眠るおじさんとか妙に長く映る車の往来とかもこれは何か重要な意味があるんだろうか(いやないんだけど)、どーしよう...とどきどきしてしまう。

この映画の原作は阿部知二の『人工庭園』という作品だそうで、それを『女の園』という何と言うかそのまんまな題名にするセンスは正直ちょっとどうかと思うが、当時は原作通りの題名だとあまり人目をひかなかったのだろうか。主に寮母を中心とした大学側と寮の女学生との対立や女学生それぞれの事情を背景にした問題に、更に広い社会状勢に影響された学校そのものの問題やら教師個々の問題なども何となく見せるので、観る側としては誰に感情移入していいのかちょっとどーしよう的な部分がある。しかしだからと言って散漫になっているわけでもない。いわゆる『リアリズム』ということだろうか、色々色々事件があって徐々に盛り上がり、最後にどっと堰を切るわけだが、見せ方としてはかなり淡々と物事を提示している印象がある。学校始まって以来のごたごたが起こった翌朝に何もなかったかのように「あのコってばアタシのカレシに色目使ってて、超うざー(要約)」とかいう会話をしている学生に、まあこんなもんかもね...などと油断していると更に何かがどかんと来るわけで、それをまた淡々と「さあ、今度はこんなことになってしまいました(昔の『映像写真ニュース』的口調で)」と見せられるやり方は、ある種じわじわくる怖さがあるような気がする(それを緊張感と呼ぶのかも知れないが)。

で、結局最後まで誰の視点に立っていいのかもはっきりせず、「どどどーしよう」状態のままで取り残されてしまった。カタストロフィ(catastrophe)には達するがカタルシス(catharsis)には至らないという感じだろうか。余りに時代に隔たりがあり過ぎるためにちょっと呆然としてしまうが、当時多かれ少なかれ実際にこんなような状況があったとすれば、社会への問題提起という意味で結構な影響力があった...のだろうか。今も名作と言われているくらいだからあったんだろうな、うん。ちなみに俳優陣はかなり凄い。高峰三枝子、高峰秀子、岸恵子、久我美子、田村高廣...などなど。田村高廣はこの作品でデビューだとか。この間実家で母が見ていたサスペンスドラマではえらく暗ーいペンションの支配人を演じていて「この人ってこういう暗い役得意だよね...」と話していたのだが、この映画ではぴっちぴちの明るい大学生ですよ。更に驚いたのが、最初のクレジットに出ていたのにどこにいたのか分からなかった金子信雄は何の役だったんだろう、と思ったら結構重要な役(多分)の「平戸先生」だったことが判明。...ゑゐ!?そうですか...あんな頃がおありだったんですか...逆に変わらないなあと思ったのは岸恵子。変わらな過ぎてびっくり。昔も今もお美しいです。しかしある意味何よりも衝撃だったのが、岸恵子演じる『富子』が彼女に想いを寄せる男子学生につれなく振舞ったところ、業を煮やした彼が彼女を物陰に連れ込み

   『ベーゼくらいは許しておくれよ』

... べ、べえぜですか。当時の学のある若人はそのやうにのたまったわけですね。知らなかったわけではないけどもさらっと言われると却って破壊力があると言うか何と言うか。と妙なところにショックを受けた真夜中でございました。

田舎の夕暮れ。この時間になると既に凄い数のとんぼが飛び交い、歩いている地面にもずらーっと並んでいる。アスファルトが暖かいから?うちの母はこの辺りの畑から好きな野菜をてけとーに貰ってきたりもするらしい。いやちゃんと事前に持ち主と「持って行っていいよ」という話ができてるんですよ。 クリックで拡大いたします。