ご飯を残す人々 ― 2007/03/06 23:53
食べ物を残す/綺麗に平らげない(られない?)人達の話題、ぽちぽちと反応を頂いているのでいま少し。ぐーぐるで「ご飯を残す人」で検索してみたら、25件ほどヒットしてきた。大方が日記ブログで、実際にご飯を残す人の話題を取り上げている記事はそれより少ないが、どうやらやはりご飯を残す人は「最近多い」らしい。多いのか...若いお嬢さん方が多いのかと思ったら、中年男性にも結構いる模様。多少救われたのは、日記でヒットしてきたものはこういう「残す人」に対して憤っているものが多いことかも。それも結構20代前半くらいの若い女性が「私は両親に食べ物は大切にしろとしつけられたから、こういう人は許せない!」とお怒りになり、記事に対するコメントにも「同感」派が続々と書き込んでいたり。ブログでも掲示板でも常連になる人は大抵そんなにかけ離れた世代の人はいないと思うので、賛同意見を書いている人達も多分記事の管理人とそう違わない世代だろうと思う。またダイエット関係のコミュニティ掲示板や子育て掲示板での「ご飯を残す」話題に対する反応も、(外食の席で)残すのは行儀が悪いとか食べ物を無駄にすることはよくないという意見が大半だし、年代も割と幅広い。こういう問題はよく「今時の○○は」と言われがちだが、時代とか年齢ではなくて結局は個々の育ってきた環境によるのだろうか。
更に「ご飯は残します」「ご飯を残す」等で検索したところ、幾つか「ダイエット日記」らしきものが引っ掛かってきた。「夕食はきちんと食べるが、ご飯は残す」「外食するなら...(低カロリーと思われる定食メニュー羅列)を頼み、ご飯は残す」「駅弁のおかずはきちんと食べるけれど、ご飯は残します」...何なんだこれ何でそう当たり前のように「ご飯は食べない」じゃなく「残す」なのだ。駅弁は大抵の場合既にご飯が入ってるだろうからともかく、飲食店で「ご飯は食べないので要りません」と言ったら嫌な顔をされるのか。むしろ丸々残した方が断然印象は悪いと思うが。実際先の「ご飯を残す人」の検索で「最近ご飯を残すお客が多い」と嘆いている飲食店の人もいたような記憶が。それこそいまの時代色んな持病や体質上の問題を抱えた人が多いし、ご飯の分値引きしろとでも要求したりしない限り「要りません」と言っている人に「定食なんだからご飯はついてます」と無理に押し付ける店もそうなかろうと思う。最初から言ってくれた方が余計な残飯が減るわけだし。更に「きちんと食べる」という記述も気になる。どういう意味で「きちんと」と書くのか。ご飯以外のものはしっかり食べる良い子ですよ!と言いたいのか。それなのにその直後に「ご飯は残す」と来るということは、ご飯は「きちんと」食べる価値もないものとみなされているのか。ご飯はそんなに悪者なのか。だんだん腹立ってきたぞ。
更に更に呆然と(て程じゃないけどいわゆる「ハァ?」な気分)したのが、幾つか引っ掛かってきた著名人の談話やブログらしきもの。これもやはり自分のダイエットの一部として「ご飯は残します」と当然のように語っておられる。だからなんで「食べません」じゃないのだ。「残します」と書いてある限りはどう考えても「自分のものとして一度取り分けられたものをあえて食べない」としか読めないわけだから、つまりは「私は毎食毎食ご飯を無駄に捨ててます」とえらそーに宣言していることになるではないか。ちなみに、先に挙げた「駅弁のおかずは...」というコメントをしているのも有名俳優。こういう人の場合撮影現場などで仕事している時は用意された弁当などということも多いと思うので「ご飯抜きで」とは行かないかも知れないのは分かるが、ダイエット中なら自分が手をつける前に現場の他の食欲旺盛な人に食べてもらうとか色々方法はあろう。いずれにせよ、全く何でもないことのように(むしろそれがいいことであるかのように)「ご飯は残す」と発言することがここでは問題なわけだ。この人にはご飯が食べたくても食べられなかった下積み時代とかいうものはなかったのだろうか。階段ころがり落ちる前...いや(ごほごほ)、これまで別に嫌いじゃなかったが、これからこの人の顔を見る度「あ、ご飯を無駄にする人だ」と思うであろう。
とどめに、某大手ブロードバンド・サービスが運営しているらしいブログの一つ、ダイエット関連のコラム。コンビニエンスストアではこんなものを買えとかファミリーレストランではこんなものを頼めとかいう著名人らしい人のアドバイスが載っているのだが、「(弁当の)ご飯を半分残す」「ドリアを食べるならご飯は残す」「(オムライスやカレーの)ご飯は残す」...いや、確かにダイエット面&栄養学面では正しいことを仰ってるんだろうと思う。思うが、ドリア頼む人はご飯が食べたくて頼むんじゃないのか。カレーライスはつまりルゥだけ啜れと。オムライスに至ってはライスを残すなら最初から単品で「オムレツ」または「卵焼き」を頼めばいいんじゃないかと。というか、そもそも本気でダイエットしたいなら ドリアとかカレーとか出来合い弁当とか食うなよ。 いや、多少本筋から逸れたけどつまりはこの場合もやたらと「ご飯を残す」ことを推奨しているのが気になるわけだ。しかもこの方、料 理 研 究 家 です。その肩書でアドバイスするなら普通、ダイエットに役立つ自炊メニューとか手作り弁当とかにならないか。会社勤めでどうしても外食が多い人もいるのは分かるが、何か根本的なものが違うような。何にしても、料理研究家という職種の人は人一倍食べ物を大切にするものだと思っていたのでこれは結構な衝撃。ちなみに一カ所だけ「お店の人には悪いけどご飯を半分残して」という記述があったが、お店の人云々よりも「食べ物が無駄になる」ということに対しては何も思わないんですか?という点で「料理研究家」の発言としてはやはり拙い気がする。ご飯の他にも付け合わせの○○には手をつけるなとか、カツの衣は剥がせとか... だから 最初から食うな。
この記事の本筋からはどうでもいい話だけど、ご飯やパンは避けるようにと言いながらパスタは(具にダイエット効果があるものを入れるにしても)「おススメ」というのはどういうわけだ。
痩せるためのダイエットにご飯を食べないことが実際効果的か否かという話まですると横道に逸れるので、ここではあくまで「ご飯を残す」ことに対する意識の問題に絞るが、思うに巷の社内食堂や一般飲食店で当然のようにご飯を残し続ける人達というのは、こういう著名人などの発言に影響を受けている人もいるのではなかろうか。勿論元々食べ物を大切にしようという意識がある人なら疑問を持つだろうが、あまりそういう意識がなかった&やせたい痩せたいヤセた〜いな人がそれを見る(聞く)とそうか、ご飯が悪いんだ〜この人がそうしてるんだからアタシも真似してやせよ〜、てことでご飯を見るととことん残すと。「控えて」とか「ご飯は断って」とかではなく「残して」と言われたのでその通り毎回貰ってきては残すと。はっきり言ってバ○...いや、皆が皆そうだとは言わないけど、実際「ご飯はできれば少なくしてもらうか要らないと断りましょう」と言われないと、そういう選択もあることに思い至らない人というのは結構いるのではあるまいか。著名人に一部の○カな大衆に誤解が生じないよう発言はあらゆる面から見て模範的かつ2時間サスペンスドラマのごとく分かりやすいものを心がけて下さい、とまでは言えないが、少なくとも食の専門家が食べ物を、しかも日本人には本来最も合っている(日本人でも一部体質的に合わない人もいるらしいが)と思われるご飯を「残す」ことをやたらと薦めるというのはどうしても納得行かない。
「いま少し」とか言いつつ結構長々書いてしまったが、「ご飯を残す」で検索していて見つけたちょっと面白い記事。株式会社リコーの環境経営に関するプレゼンテーションらしきものの内容を書き起こした文書ファイルなのだが、この中の「ごみゼロ活動」で触れられている同社工場の社内食堂の話。元はpdfファイルだが長いので、「ご飯を残す」のキーワードがハイライトされているHTML版のキャッシュをリンクしておきます。Page 12の後半の辺り。
→ 残飯をドラム缶22本から2本に減らしたリコーの努力
日本全国の社内食堂でぜひ真似して頂きたい。これが実現したからと言って安易なダイエットに次々飛びつく人々や、単に食べ物を大切にする意識のない人々が、あちこちで食べ物を無駄にする現象はなくならないとは思いますが、そういう人達はぜひ桃太郎...じゃない、この場合越後侍にですね、成敗して頂きたいと心から思う次第でございます。←米関係でございますから。毎日毎日TVでも雑誌でもどこの何が絶品とか有名人があちこちで食べまくりとかで紹介される店に長蛇の列ができている一方、毎日毎日ご飯を無駄に捨てている人達が...ってやっぱり変だ。ダイエット中だからご飯食残してるんだ〜、とか言う人に限ってそういうグルメ情報に飛びついてあっちのレストランこっちのケーキ屋そっちのラーメン屋に列を作ったりするタイプじゃなかろうか、と思ってしまうのは激しい偏見ですか。
更に「ご飯は残します」「ご飯を残す」等で検索したところ、幾つか「ダイエット日記」らしきものが引っ掛かってきた。「夕食はきちんと食べるが、ご飯は残す」「外食するなら...(低カロリーと思われる定食メニュー羅列)を頼み、ご飯は残す」「駅弁のおかずはきちんと食べるけれど、ご飯は残します」...何なんだこれ何でそう当たり前のように「ご飯は食べない」じゃなく「残す」なのだ。駅弁は大抵の場合既にご飯が入ってるだろうからともかく、飲食店で「ご飯は食べないので要りません」と言ったら嫌な顔をされるのか。むしろ丸々残した方が断然印象は悪いと思うが。実際先の「ご飯を残す人」の検索で「最近ご飯を残すお客が多い」と嘆いている飲食店の人もいたような記憶が。それこそいまの時代色んな持病や体質上の問題を抱えた人が多いし、ご飯の分値引きしろとでも要求したりしない限り「要りません」と言っている人に「定食なんだからご飯はついてます」と無理に押し付ける店もそうなかろうと思う。最初から言ってくれた方が余計な残飯が減るわけだし。更に「きちんと食べる」という記述も気になる。どういう意味で「きちんと」と書くのか。ご飯以外のものはしっかり食べる良い子ですよ!と言いたいのか。それなのにその直後に「ご飯は残す」と来るということは、ご飯は「きちんと」食べる価値もないものとみなされているのか。ご飯はそんなに悪者なのか。だんだん腹立ってきたぞ。
更に更に呆然と(て程じゃないけどいわゆる「ハァ?」な気分)したのが、幾つか引っ掛かってきた著名人の談話やブログらしきもの。これもやはり自分のダイエットの一部として「ご飯は残します」と当然のように語っておられる。だからなんで「食べません」じゃないのだ。「残します」と書いてある限りはどう考えても「自分のものとして一度取り分けられたものをあえて食べない」としか読めないわけだから、つまりは「私は毎食毎食ご飯を無駄に捨ててます」とえらそーに宣言していることになるではないか。ちなみに、先に挙げた「駅弁のおかずは...」というコメントをしているのも有名俳優。こういう人の場合撮影現場などで仕事している時は用意された弁当などということも多いと思うので「ご飯抜きで」とは行かないかも知れないのは分かるが、ダイエット中なら自分が手をつける前に現場の他の食欲旺盛な人に食べてもらうとか色々方法はあろう。いずれにせよ、全く何でもないことのように(むしろそれがいいことであるかのように)「ご飯は残す」と発言することがここでは問題なわけだ。この人にはご飯が食べたくても食べられなかった下積み時代とかいうものはなかったのだろうか。階段ころがり落ちる前...いや(ごほごほ)、これまで別に嫌いじゃなかったが、これからこの人の顔を見る度「あ、ご飯を無駄にする人だ」と思うであろう。
とどめに、某大手ブロードバンド・サービスが運営しているらしいブログの一つ、ダイエット関連のコラム。コンビニエンスストアではこんなものを買えとかファミリーレストランではこんなものを頼めとかいう著名人らしい人のアドバイスが載っているのだが、「(弁当の)ご飯を半分残す」「ドリアを食べるならご飯は残す」「(オムライスやカレーの)ご飯は残す」...いや、確かにダイエット面&栄養学面では正しいことを仰ってるんだろうと思う。思うが、ドリア頼む人はご飯が食べたくて頼むんじゃないのか。カレーライスはつまりルゥだけ啜れと。オムライスに至ってはライスを残すなら最初から単品で「オムレツ」または「卵焼き」を頼めばいいんじゃないかと。というか、そもそも本気でダイエットしたいなら ドリアとかカレーとか出来合い弁当とか食うなよ。 いや、多少本筋から逸れたけどつまりはこの場合もやたらと「ご飯を残す」ことを推奨しているのが気になるわけだ。しかもこの方、料 理 研 究 家 です。その肩書でアドバイスするなら普通、ダイエットに役立つ自炊メニューとか手作り弁当とかにならないか。会社勤めでどうしても外食が多い人もいるのは分かるが、何か根本的なものが違うような。何にしても、料理研究家という職種の人は人一倍食べ物を大切にするものだと思っていたのでこれは結構な衝撃。ちなみに一カ所だけ「お店の人には悪いけどご飯を半分残して」という記述があったが、お店の人云々よりも「食べ物が無駄になる」ということに対しては何も思わないんですか?という点で「料理研究家」の発言としてはやはり拙い気がする。ご飯の他にも付け合わせの○○には手をつけるなとか、カツの衣は剥がせとか... だから 最初から食うな。
この記事の本筋からはどうでもいい話だけど、ご飯やパンは避けるようにと言いながらパスタは(具にダイエット効果があるものを入れるにしても)「おススメ」というのはどういうわけだ。
痩せるためのダイエットにご飯を食べないことが実際効果的か否かという話まですると横道に逸れるので、ここではあくまで「ご飯を残す」ことに対する意識の問題に絞るが、思うに巷の社内食堂や一般飲食店で当然のようにご飯を残し続ける人達というのは、こういう著名人などの発言に影響を受けている人もいるのではなかろうか。勿論元々食べ物を大切にしようという意識がある人なら疑問を持つだろうが、あまりそういう意識がなかった&やせたい痩せたいヤセた〜いな人がそれを見る(聞く)とそうか、ご飯が悪いんだ〜この人がそうしてるんだからアタシも真似してやせよ〜、てことでご飯を見るととことん残すと。「控えて」とか「ご飯は断って」とかではなく「残して」と言われたのでその通り毎回貰ってきては残すと。はっきり言ってバ○...いや、皆が皆そうだとは言わないけど、実際「ご飯はできれば少なくしてもらうか要らないと断りましょう」と言われないと、そういう選択もあることに思い至らない人というのは結構いるのではあるまいか。著名人に一部の○カな大衆に誤解が生じないよう発言はあらゆる面から見て模範的かつ2時間サスペンスドラマのごとく分かりやすいものを心がけて下さい、とまでは言えないが、少なくとも食の専門家が食べ物を、しかも日本人には本来最も合っている(日本人でも一部体質的に合わない人もいるらしいが)と思われるご飯を「残す」ことをやたらと薦めるというのはどうしても納得行かない。
「いま少し」とか言いつつ結構長々書いてしまったが、「ご飯を残す」で検索していて見つけたちょっと面白い記事。株式会社リコーの環境経営に関するプレゼンテーションらしきものの内容を書き起こした文書ファイルなのだが、この中の「ごみゼロ活動」で触れられている同社工場の社内食堂の話。元はpdfファイルだが長いので、「ご飯を残す」のキーワードがハイライトされているHTML版のキャッシュをリンクしておきます。Page 12の後半の辺り。
→ 残飯をドラム缶22本から2本に減らしたリコーの努力
日本全国の社内食堂でぜひ真似して頂きたい。これが実現したからと言って安易なダイエットに次々飛びつく人々や、単に食べ物を大切にする意識のない人々が、あちこちで食べ物を無駄にする現象はなくならないとは思いますが、そういう人達はぜひ桃太郎...じゃない、この場合越後侍にですね、成敗して頂きたいと心から思う次第でございます。←米関係でございますから。毎日毎日TVでも雑誌でもどこの何が絶品とか有名人があちこちで食べまくりとかで紹介される店に長蛇の列ができている一方、毎日毎日ご飯を無駄に捨てている人達が...ってやっぱり変だ。ダイエット中だからご飯食残してるんだ〜、とか言う人に限ってそういうグルメ情報に飛びついてあっちのレストランこっちのケーキ屋そっちのラーメン屋に列を作ったりするタイプじゃなかろうか、と思ってしまうのは激しい偏見ですか。
![]() | あまり洗い物を増やしたくない時や使える食器が他のものに占領されているときは、オーヴンペーパーにオリーヴオイルをたらし、ジャガイモに塗り付けつつ全体に広げてオーヴンで揚げると言うか焼く。ローズマリーを一緒に焼くとジャガイモに香りも移るしローズマリーもカリカリになって幸せです。炭水化物バンザイ。 |
コメント
_ テット ― 2007/03/08 15:23
_ りあん ― 2007/03/09 01:38
あっちでもこっちでもやたらと残す残すという記述になっていて驚いたのですが、「ご飯は食べない」とか「避ける」とかじゃなく「残す」という言葉を使うと言うことはどう考えても=捨てているとしか読めませんよね。当たり前のようにその言葉を使って、誰もその「残す」こと自体は(文面から判断する限り)全く気に掛けていないらしいことに一番驚きました。ダイエットが趣味のような一般の人(や自慢にならなそうな自己流ダイエット法を語る有名人)がブログで「ご飯は残しますよ、勿論」みたいなことを書いているのは激しく腹が立つか「あーあ」な気分になるだけですが、仮にも「料理研究家」があんな記事を堂々と書いているのはもはや理解不能です。米農家の人達と小林カツ代さん(以前読んだ記事でバブル時代の民放料理番組で収録が終わるや否や料理や余った材料を掻き集めて捨てようとしていた生ゴミ部隊に驚き、自分が全部持ち帰ったという話を書かれていました)に謝れ!と言いたいです。他にもかなり???なアドバイスがてんこ盛りだったのですが、それこそ目新しくて楽ちんな方法に飛びつく人達がそれをそのまんま真似するのか...と思うと何だか情けなくて(略)
一般的に物事に対しての考えが人それぞれなのは理解できますが、「自分がここで食べなければ確実に捨てられる」ことが明らかな情況で全く「もったいない」と思わず残せる人というのはどうも理解し難いです。「井戸に落ちそうな子供を見て『あっ』と思う」のと「食べ物が捨てられるのを『もったいない』と思う」のは人間として同じくらい自然な感情ではなかろうかと思うのですが。 ちょっと強引ですか。でも、検索で見たサイトで食べ物を残そうとする子供を「食べ物を粗末にするな」と叱る親を見て「戦時中じゃないんだし」とコメントしていた人もいましたし、「豊富にあれば捨ててもいい」的な認識の人はいるようですね。それもやはりその人がどう育てられたかが影響するのでしょうねー。
日本人は食べ物に関して(食べ物そのものやどう食べるかも含めて)かなり好奇心旺盛だと思いますが、マスコミなどの「絶品ナントカ」「究極のカントカ」「あなたの○×は間違っている!」みたいな取り上げ方を見ると一種ヒステリックな感じもしますね。それに安易に飛びつく人も多いので、更に話題性を求めて狂乱振りに拍車がかかるのかなとも思いますが。個人的には旅行番組などで郷土料理を食べている場面はおいしそうだなーと思いますが、究極のナンタラ食とかの類でタレントがとにかく食べまくってうまいうまいと騒ぐようなのは見ているだけで消化不良を起こしそう...というか騒がしくて途中で消しますが。
一般的に物事に対しての考えが人それぞれなのは理解できますが、「自分がここで食べなければ確実に捨てられる」ことが明らかな情況で全く「もったいない」と思わず残せる人というのはどうも理解し難いです。「井戸に落ちそうな子供を見て『あっ』と思う」のと「食べ物が捨てられるのを『もったいない』と思う」のは人間として同じくらい自然な感情ではなかろうかと思うのですが。 ちょっと強引ですか。でも、検索で見たサイトで食べ物を残そうとする子供を「食べ物を粗末にするな」と叱る親を見て「戦時中じゃないんだし」とコメントしていた人もいましたし、「豊富にあれば捨ててもいい」的な認識の人はいるようですね。それもやはりその人がどう育てられたかが影響するのでしょうねー。
日本人は食べ物に関して(食べ物そのものやどう食べるかも含めて)かなり好奇心旺盛だと思いますが、マスコミなどの「絶品ナントカ」「究極のカントカ」「あなたの○×は間違っている!」みたいな取り上げ方を見ると一種ヒステリックな感じもしますね。それに安易に飛びつく人も多いので、更に話題性を求めて狂乱振りに拍車がかかるのかなとも思いますが。個人的には旅行番組などで郷土料理を食べている場面はおいしそうだなーと思いますが、究極のナンタラ食とかの類でタレントがとにかく食べまくってうまいうまいと騒ぐようなのは見ているだけで消化不良を起こしそう...というか騒がしくて途中で消しますが。
_ テット ― 2007/03/09 09:33
日本には「もったいない」という美徳と並行して「湯水の如く」という表現があるように、身近に豊かに溢れている物だったらジャンジャン使ってジャンジャン無駄にすることが是とされるという、矛盾ともとれる考え方がありますよね。
(余談ですが、イギリスでは食器を洗う際に洗剤をすすぐ水に対しても節約の精神があるため食器に洗剤が残って料理の味を落とすという、まことしやかな風説を耳にしたことがあるのですが、本当でしょうか?(笑))
とにかくそうした「湯水の如く」的感覚がとうとう、自らの血肉になるという意味で特別であるべきところの食物にまで敷衍されてしまったのが現代という時代なのでしょう。戦後の復興からバブルに至る成金感覚(「今まで苦労してきた分、努力して稼いだ金を使って贅沢して何が悪い」的な)をいまだに引きずっているかの如き、浪費に対する憧れみたいなものすら、マスコミによる狂乱的に垂れ流しな情報群に感じざるを得ませんね。
僕も、スタジオで話題の高級坦々麺をすするゲスト陣とか、高級スイーツを賭けてクイズに挑戦、みたいな企画を見ると、ゲンナリしてその浅ましさにただただ寒気を覚えます。僕ら、いつの間にこんなに下品な民族になっちゃったんだろうなぁ、って。
(余談ですが、イギリスでは食器を洗う際に洗剤をすすぐ水に対しても節約の精神があるため食器に洗剤が残って料理の味を落とすという、まことしやかな風説を耳にしたことがあるのですが、本当でしょうか?(笑))
とにかくそうした「湯水の如く」的感覚がとうとう、自らの血肉になるという意味で特別であるべきところの食物にまで敷衍されてしまったのが現代という時代なのでしょう。戦後の復興からバブルに至る成金感覚(「今まで苦労してきた分、努力して稼いだ金を使って贅沢して何が悪い」的な)をいまだに引きずっているかの如き、浪費に対する憧れみたいなものすら、マスコミによる狂乱的に垂れ流しな情報群に感じざるを得ませんね。
僕も、スタジオで話題の高級坦々麺をすするゲスト陣とか、高級スイーツを賭けてクイズに挑戦、みたいな企画を見ると、ゲンナリしてその浅ましさにただただ寒気を覚えます。僕ら、いつの間にこんなに下品な民族になっちゃったんだろうなぁ、って。
_ りあん ― 2007/03/10 00:04
確かにそういう表現もありましたねー。でも、用法を考えると「成金金満家が金を湯水の如く使って土地を買い漁る」とかいうようにあまりいいイメージでは使われない気がするのですがどうでしょうね。今手元の辞書を見たら「湯水のように使う:金銭を湯や水のようにむだに使う」と「無駄」というネガティヴな解釈が入っているので、この場合やはり裏に「もったいない」の意識があるような印象も。
ちょっと脇に逸れると、湯や水は無駄に使ってももったいなくないのか、という突っ込みはありますが。この辺り河川が多い日本の地理的情況が関係しているのかどうだか。
> まことしやかな風説
節約の精神なのかどうなのかはよく分かりませんが、確かにあちらの家庭ではまず排水口に栓をして熱めの湯を勢いよく出して溜めつつ洗剤を流し入れ>泡立った湯の中にどかどか食器を入れて洗い>汚れが落ちたら食器は流しに入れたまま栓を抜いて湯を流し>自然乾燥、が食器洗いの手順になっております。初めて見た時はこれでいいのか?本当にいいのか?と思いつつ良くも悪くも環境に馴染みやすい性質なので郷に従ってました...が、さすがに友人の家で乾きかけた皿に泡が残っているのを見た時はこっそり洗い直しました。少なくともよくお世話になっていた友人の両親の家では食器に洗剤の匂いが残っていたとかいう(洗っている時はかなり匂いがします)記憶はありませんが、目に見えないレヴェルで完全に落ちているかどうかは定かではありません。
あ、でも今は当時よりかなり食器洗い機が普及してそうなのでもしかして料理の味も上がってるかも♪←そういう問題では
バブル時代も訳の分からない贅沢賛美の風潮がありましたが、一旦不況を経験した後の最近の情況はまた別の種類の贅沢奨励と言うか、やたらと乱用される「セレブ」という単語に感じられるある種の選民思想?(かなり低いレヴェルのように感じますが)的な差別意識があるような気がして、単に浮かれていただけのバブル時代より却って無気味な感じがします。「一度浮かれ騒いで何にでも手を出して失敗したから、今度はもっと価値を見極めて」というのは分かるのですが、結局はマスメディアが煽る安っぽい「セレブ指向」に踊らされているような。細かいことを言わせてもらうと、英語のcelebrityと日本での「セレブ」の用法の間にも深くて暗い溝があるようですが。
> その浅ましさにただただ寒気を覚えます
そうなのですよね、ブランド品でも高級エステティック・サロンでも優雅なホテルライフでも興味がある人は勝手に散財すれば、と思いますが、食べ物に関してそういう高級嗜好品と同じような扱いをする番組は見ていて嫌な感じがしますね。やはり沢山の人の手を経ていることもありますし、食べるということは生きるために必要な基本的なことですから、おいしいものを本当においしく食べるならいいですが、「とりあえず食べておく」ことが人のステイタス(?)を決めるかのような扱い方は違和感があります。特にスタジオで次々と違う料理が出てくるような番組は、録画だとしても構成の慌ただしさからして最初の一口とコメントの後最後までちゃんと食べるとはとても思えませんし、残った料理の行方が気になります。←結局それだったり。
ちょっと脇に逸れると、湯や水は無駄に使ってももったいなくないのか、という突っ込みはありますが。この辺り河川が多い日本の地理的情況が関係しているのかどうだか。
> まことしやかな風説
節約の精神なのかどうなのかはよく分かりませんが、確かにあちらの家庭ではまず排水口に栓をして熱めの湯を勢いよく出して溜めつつ洗剤を流し入れ>泡立った湯の中にどかどか食器を入れて洗い>汚れが落ちたら食器は流しに入れたまま栓を抜いて湯を流し>自然乾燥、が食器洗いの手順になっております。初めて見た時はこれでいいのか?本当にいいのか?と思いつつ良くも悪くも環境に馴染みやすい性質なので郷に従ってました...が、さすがに友人の家で乾きかけた皿に泡が残っているのを見た時はこっそり洗い直しました。少なくともよくお世話になっていた友人の両親の家では食器に洗剤の匂いが残っていたとかいう(洗っている時はかなり匂いがします)記憶はありませんが、目に見えないレヴェルで完全に落ちているかどうかは定かではありません。
あ、でも今は当時よりかなり食器洗い機が普及してそうなのでもしかして料理の味も上がってるかも♪←そういう問題では
バブル時代も訳の分からない贅沢賛美の風潮がありましたが、一旦不況を経験した後の最近の情況はまた別の種類の贅沢奨励と言うか、やたらと乱用される「セレブ」という単語に感じられるある種の選民思想?(かなり低いレヴェルのように感じますが)的な差別意識があるような気がして、単に浮かれていただけのバブル時代より却って無気味な感じがします。「一度浮かれ騒いで何にでも手を出して失敗したから、今度はもっと価値を見極めて」というのは分かるのですが、結局はマスメディアが煽る安っぽい「セレブ指向」に踊らされているような。細かいことを言わせてもらうと、英語のcelebrityと日本での「セレブ」の用法の間にも深くて暗い溝があるようですが。
> その浅ましさにただただ寒気を覚えます
そうなのですよね、ブランド品でも高級エステティック・サロンでも優雅なホテルライフでも興味がある人は勝手に散財すれば、と思いますが、食べ物に関してそういう高級嗜好品と同じような扱いをする番組は見ていて嫌な感じがしますね。やはり沢山の人の手を経ていることもありますし、食べるということは生きるために必要な基本的なことですから、おいしいものを本当においしく食べるならいいですが、「とりあえず食べておく」ことが人のステイタス(?)を決めるかのような扱い方は違和感があります。特にスタジオで次々と違う料理が出てくるような番組は、録画だとしても構成の慌ただしさからして最初の一口とコメントの後最後までちゃんと食べるとはとても思えませんし、残った料理の行方が気になります。←結局それだったり。
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コミュニケーションが面倒、その都度判断するのが面倒、全部お膳立てしてもらえる楽チンがいちばん。そんな時代の風習が、「頼んでおいて、残す」というスタイルにつながるのかとも思うと、おっちゃん情けなくて涙が出るわぃ……。だって今や、日本人の美徳であった「もったいない精神」をケニアの女性から逆輸入する時代ですからね。おっちゃん情けなくて(略
結局こういう事は、小さいときからの教育でしか継承していくことはできないのだと思います。これから親になる人々、まだ小さい子供をお持ちの若い親御さんからまず、気持ちを入れ替えて欲しいと切に願います。