旅の便り ― 2008/10/25 23:58
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仕事で2週間ほどスウェーデンのストックホルムに行っていた叔父(南瓜画家・普段は出版社勤め)からお土産が送られてきた。オーヴン用ミトンと青いハートのオブジェ、デジタルカメラで撮った写真を鏤めた簡単な旅の報告。あちらは秋真っ盛りと言うか既に晩秋の色合いですな。ストックホルム中心部はホテルの宿泊料が高いので郊外の宿にしたところ、歩いて数分のところに湖があるような自然一杯のところだったらしい。自分は北欧はまだ行ったことがないが、ぜひぜひぜひ行ってみたいところなので写真だけでもううずうずうずうず。英国やドイツの静かで空気がキーンと冷えた秋を思い出した。日本なら12月くらいの気温だそうなのでスウェーデンは更に寒いんだろうけど。しっかりスウェーデンの南瓜の様子(高級店のウィンドウに飾られている)も写真に収められている。...商品(ペンやネクタイ)と渋いお兄さんモデルの写真がなければ叔父の絵みたいな南瓜だ。 |
お礼の電話をした時に街の様子などを聞くと、とにかく静か(町中でも雑音が少ないという意味も含めて)で子供も「子供らしいけれども落着いている」のだとか。何だか分かる気がする。自分が最後に欧州に行ったのはもう4年以上前だが、日本、というか東京に戻ってまず最初に驚くのはとにかく着いた途端に種々雑多な音が押し寄せてくること。駅や公共施設のアナウンスからチャイム?(発車時とかアナウンスの前後とか)から、町中に入ると四方八方の店から外に向けて音楽ががんがん流されているから、路上に進出している看板とか電光掲示板とかごちゃごちゃしたものが次々目に入って来るのと合わせてもう視覚と聴覚がいきなり飽和状態に。あの時ほど東京とは何と騒がしく落ち着きのないところだろうとつくづく思う時はない。まあ次の日になれば自分も再適応するわけだけど。しかしそれでもあの商店街の騒音合戦(呼び込みの声などもあるが音楽でも(例え好きな曲でも)あの場合は騒音だと思う)は、神経が疲れていたりする時などは特に余計に疲れて、気がつくとなんかぼーっと歩いていたりする(普段からぼーっとしているのではという意見は只今受け付けておりません)。
あの騒音の中で話そうと思うと部屋の中や静かなところに比べて結構な声を張り上げないといけないわけで、行き交う親子連れの子供なんかも疲れた顔した親の後を追いつつなんか必死に訴えているのをよく見かける。一回では親が気付いてくれない(あるいは疲れているので聞こえても無視している)ので更に声張り上げて何度も繰返すのもよくある。その間にも子供の目と耳には色んなものが入ってくるわけで、大人だとある程度無意識に自分の興味のある、または必要な情報だけを選り分けて、後は「見た、聞いた」という認識もほとんどせずに流すということができるけれども、子供は好奇心が旺盛と言うか、つまりは大人に比べて圧倒的に経験が少なく「自分に何が必要か」とかそもそも自分が見聞きしているものは何なのかという判断が瞬時に判断できる場合が少ないので、音でも光景でも文字でもとにかく一旦は認識するのではないかと思う。
で、道を転ばない&人にぶつからないように歩く+親とはぐれないようにする+親に話しかけて注意を引くという複数の作業を一遍にこなしながら、更に周囲の情報を片っ端から取り込んで何あれ何あれ?これなんか面白そうじゃね?(←今の子供風?)何か安いって!お母さん安いの好きじゃん!あっこの曲知ってる!知ってる!とかやってたらもう気が散って気が散って仕方ないんじゃなかろうかと思う。何が言いたいかというと、毎日こういう環境の中で生活していたらいわゆる「落ち着きのない子供」になっても無理はないんじゃなかろうかと。もちろんこういう賑やかな街で暮らしている子供が皆そうなるわけではないし、親が常に子供に注意を払って話しかけている状態なら、基本的に子供は大半の集中力を周囲の雑多なことより親とのコミュニケーションに向けると思うので、結局は親の子供に対する接し方が一番影響するだろうとは思うが、外界の刺激に対して思いっきりオープンな幼児期から毎日毎日雑音の中にいたら、それらが圧倒的に少ない環境で生活する子供に比べて多かれ少なかれ何かしら影響があるのではないかと思うのだ。普段から時々漠然とそんなことを考えていたのだが、叔父からスウェーデンの「落着いた子供達」の話を聞いて何となくちょっと繋がったような気がした日本の秋の夜。
それはそれとして北欧行きたいよ北欧。真冬に行ったら幾ら寒いの好きな自分でも泣きそうになるかも知れないし、冬の北欧は日照時間が少ないあまり鬱病になる人が多いとか聞いたこともあるので、初夏から秋口にかけてくらいがいいんだろうか。

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