「リスペクト」? ― 2004/06/09 23:57
昨日書いたトリビュート・アルバムに何となく関連して思い出したこと。自分が気付いたのはここ1、2年だと思うのだが、最近あちこちで「リスペクト」という言葉を頻繁に聞く。最初は確か日本の音楽関係の記事だかTV番組だかで「リスペクトするアーティストを...」とか言っていて、は?と驚いたのだったと思う。英語のrespectをそのまま日本語読みしただけなのは分かるが、日本語にも「尊敬する、尊重する」という適当な訳語が存在するのになぜわざわざ「リスペクト」なのかがよく分からない。例えば「トリビュート=tribute」なら一つの言葉に感謝する、尊敬する、賛辞を送る、贈り物をする(目上の存在に貢ぎ物を捧げるようなニュアンス)などという意味が入っていて、トリビュート・アルバムの場合ならある音楽家に影響を受け、尊敬している他の音楽家達がその人に対する敬意を込めて捧げる意味で作ったアルバムということで複数の意味が混在することになる。それを日本語で一言では訳せないためそのまま原語を使う、というのは仕方ないことだとは思う。しかしなぜ「リスペクト」なのか。昨日のクール&ザ・ギャングのトリビュート・アルバムの場合なら「K&Gをリスペクトするアーティスト達がコラボレートしたトリビュート・アルバム」とかいうことになるのだろうか。ほとんど日本語に聞こえない、というか日本語ではない。しかし英語でもない。実際日本の音楽雑誌やそういう方面(だけではないと思うが)の記事を見るとそんな調子の文章はどこにでもあるのだが、何となくカッコ良く響く外国語を継ぎはぎしただけの、あまり意味のない文章にしか見えない。
言語はそれぞれの土地や生活に合わせて発達するものなので、一つの言語を他言語に移し換える場合まさにぴったり当てはまる訳語が見つかることもあれば、感覚的には理解できてもどうしてもしっくりくる対訳が一方の言語にはない場合も多くある。コンピュータやネット関連の言葉でも後者のケースは多いし、特にこの場合機器やシステムの開発にしてもネットの交流にしても海外との行き来が非常に多いため、無理に訳してかえって混乱を招くよりは原語のままの方が話が早いということもある。言葉は変化していくものでもあるから、日本語にはない微妙な状況を表す外国語を取り入れるのはある意味表現の範囲を広げることにもなる、とも思う。ただそういう利便性も対訳の微妙な差異もない(少なくとも原語を使う必要性があるほどの差異とは思えない)言葉、というより単語だけを切り取ってを無闇矢鱈と「そのまんま」使うのを目に(耳に)すると、どうしても首を傾げてしまうのだ。刑事物だかアクション物だかのハリウッド映画のポスターに「俺はお前を死んでもリスペクトする」と書かれていたのを見た時は何とも言えずげんなりしたのと同時に、こういうところに書いても見た人は違和感を感じないほど既に「リスペクトする」は定着しているのかと少しぞっとした。なぜ「俺はお前を尊敬する」ではだめなのか。「尊敬」では重すぎるから?しかしrespectという言葉自体重い言葉である。I respect him as a man.と言えば彼に人間として敬意を払い、彼の言動や立場を尊重し、自分の中で特別な存在として心に留める価値があると考えている、ということだ。結局日本語の「尊敬する」ではないか。
日本語に良い対訳があるのに原語そのままを使う理由が日本語訳が重い、あるいは「カッコよくない」からだとすれば、原語をそこに使った時点でその外国語そのものの意味を軽くしていることにはなるまいか。人にもよるのかも知れないが、わたし自身は実際横文字を必要以上に多用した文章は意味が上滑りしているようで伝わらないだけでなく、使われる外国の単語それぞれがカッコ良さ重視でちりばめられているようで全体的に軽々しい印象を受けてしまう。これは安易に外国語を継ぎはぎして母国語を意味の曖昧な深みのないものにするだけでなく、気軽に多用する外国語そのものの意味や深みを軽んじることにはならないだろうか。「リスペクト」のような使い方を目の当たりにすると、そんなことをうだうだと考えてしまうのだ。どの業界が最初に使い始めたのか知らないが、日本語でも外国語でもそれぞれの言語の意味や重さというものをもう少しリスペクトしていただけないものでしょうかね。

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