決定的用法? ― 2004/06/27 23:33
ユーロ2004、今朝の準々決勝のスウェーデン対オランダはこれまた緊張感一杯の試合で、0-0で延長でも決まらず、PK戦も最後の最後まで譲らないという凄い状況だった。結局オランダが勝利したが、どちらが勝ってもおかしくない試合だったと思う。
試合そのものは大変楽しかったし、実況はもう諦めている...のだがどうしても気になったことが一つ。実況内容そのものではなく言葉の問題である。何だかこの間から他人の言葉遣いに文句ばかり言っている気がするが、気になるものはどうしても気になる。「決定的」という表現の使い方がどうにも引っ掛かるのだ。シュートがわずかな差でゴールを逸れた時、そのままなら間違いなく一点だったところを好セーブで防がれた時、ゴール前に一瞬隙ができて絶好のチャンスだったにも関わらずタイミングを逃して得点できなかった時、「今のは決定的でしたね!」と言う。これまでの同局の放送でも気になってはいたのだが、今朝の実況はまるで決定的のバーゲンセールのように連発していたので非常に耳についた。個人的に「決定的」という言葉は「物事がある結果に至ることを確実にした要素」について言うと思っていた。そのシュートが入ってそれがチームの勝利に繋がったならそれは「決定的な一点」「決定的な瞬間」と言われて何もおかしくないと思うのだが、「失敗した」ものを決定的というのにどうもぴんとこないのだ。「成功していれば決定的場面になり得た」というなら分かるが、失敗した後で「今のは決定的でしたね」「さっきのあの決定的なシュート」挙句に「この試合では多くの決定的場面がある」...「決定的」つまりその試合の結果を動かしがたいものにするような場面が、一試合にそんなに幾つもあること自体矛盾していないか。試合そのものではなくそれぞれのシュートに関して言っているとしても、結局失敗したのなら何も決定的なものはなかったはずだと思うのだが。
手元の辞書では「決定的=動かすことができない様子」オンライン辞書(goo)では「ほぼ決定したと見なしうるさま」とある。どちらの意味でも、結果的に「決定すること」に失敗した行為を「決定的だった」と言うのはどうも変だと思うのだが。それとも最近は、あるいはサッカー業界では特別に「実際の結果に関係なく重要な要素になり得たもの」あるいは「全体の過程の中で単に盛り上がった場面」を指して「決定的」と言うようになっているのだろうか。違う実況担当の人でもやはり同じ使い方をしていたのでもしかするとそうなのかも知れないが、今朝のはあまりに連呼された上に解説の人まで合唱のように決定的決定的と言い出したので、ついに耐え切れず音量を最低限に落として観ていた。自分が何か間違って理解している、あるいは自分が認識している以外の意味があるにしても、一試合の中で数え切れないほど決定的決定的決定的と叫び続けるのはどうしたって語彙・表現力不足にしか聞こえずうんざりしてしまうのだ。まあ準々決勝のあと一試合チェコ対デンマークは放送されないようだし、準決勝にしても一試合しか放送しないようなので、あとは準決勝・決勝わずか二試合分の我慢ですか。...何なんだろうこの物凄く中途半端でストレスの溜まりそうな放映予定は。ああBBCスポーツが観たい。
全然関係ないがぶつぶつばかりでもあれなので、先日お蔵入り下絵の中から掘り出した絵の一部。何がどうなってるのかよく分かりませんが。
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あんまり細かいことにこだわると疲れてよ。のんびりいきましょうよのんびり〜。
あなたはのんびりし過ぎです。 |
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