ladybird's diner2009/06/26 23:58


バルコニーで伸び放題になっているサルビア・アズレアにてんとう虫発見。七星さんや二つ星さんはアブラムシなんかを食べてくれるんだったのう、とそのまま放置。サルビアの葉の裏側に結構ついているのが気になっていた小さい黒い虫がアブラムシかどうか知らないが、午後になって見てみたらてんとう虫が去った一方黒い虫もかなり減っているような。思いっきりお召し上がりになってくれたんだろうか。『レストラン・アズレア』またのお越しをお待ちしてます。


この間書こうかと思っていて書きそびれていた話。先週銀座に行った時に再訪したBleizh Cafe、この時は定番のコンプレット(ハム、卵、チーズ。普段は豚肉は食べないけどこの日は何となくあーハム食べたいなあと思ったので)のガレットとカフェ・オ・レを頼んで心を落ち着かせて(この後例の浴衣を買いに行く予定だったので)いた。で、のんびりした後店を出る前に化粧室に行った。初めての時この化粧室を利用したら、新しいので綺麗なのは当然としてもドアが木製&ノブ部分が木靴だったり、紙タオルや(手の)乾燥機ではなく一人ずつハンドタオルが用意してあったり、細かいところまで「素朴なブルターニュ」の雰囲気を出していていい感じだったので、買い物に行く前に身繕いしていこう〜とまた利用した。で、その時に気づいたことなんですが。

トイレを使う時、座ると音楽が流れるんですよ。店内にはフランスの音楽(一回目の時はセリーヌ・ディオンのフランス語のアルバム、二度目の時は多分ブルターニュ地方の民族音楽と思われる陽気な音楽)が流れているのだが、トイレではクラシック。最初の時は化粧室は化粧室でクラシックを流していて、偶然座った時に曲が流れ出したのかな、くらいに思っていたのだが、二度目も全く同じタイミングで同じ曲が流れ出した。それも華々しいと言うか格調高いと言うかそんな雰囲気の...えーと何だっけこれ、確かヘンデルの『水上の音楽』だよね。  ...水上?       なんかこれはもしや密かなジョークなんだろうか。ブルターニュ風とか。考え過ぎですか。何にしてもいきなりあの華やかに鳴り響くクラシックはちょっと驚くと言うか意味もなくおろおろするというか。選曲は別に他意はないのかも知れないけどどう考えてもブルターニュとは関係なさそうだし、曲名を思い出して以来ふとあの状況を思い返しては「なんでだろう...」とどーでもいいことで悩んでいるわたくしです。

ちなみに参考までに『水上の音楽』該当部分。

→ George Frideric Handel "Water Music" Suite No. 2 in D major HWV 349: II, Alla Hornpipe (YouTube)

個室に入って「用を足そう」かなっと思った瞬間絶妙のタイミングでこの曲が鳴り響くと思いねえ。結構うろたえませんか。



カフェで貰った塩キャラメル。最初の時に貰ったのとは(少なくとも包み紙が)違う模様。カフェのスタッフも増えて(一回目にたまたまいなかっただけかも知れないが)一人フランスの人かな?という男性も混じっていて、その方にカード(20日の記事の写真参照)とこのキャラメルを頂きました。キャラメルは会計の時にいつも貰える模様。



音楽と言えば、今朝Macを立ち上げてBBCのニュースでマイケル・ジャクソンの訃報を知って驚いた。自分が一番英米ポップ&ロック音楽を聞いていた80年代には当然彼の音楽(と話題)が溢れていたとは言え、個人的にはこの曲は割と好き、程度で特にファンというわけでもないので、彼についてどうこう書くほどの知識も熱意もないのだが、夜のNHKのニュースで流れたジョン・カビラ氏の「色々な面で突き抜けていた米国の、突き抜け過ぎたところまで背負わされた人だったのかも」という意味のコメントに何となくなるほど...と思った。副音声で聞いていて字幕の日本語をぱっと見ただけなので正確じゃないかも知れないけど(副音声では「突き抜ける」に「progress(進む、進歩する)」という訳をあてていたと思う)。BBCによるとこの7月に英国でコンサート・ツアーをする予定だったが、ツアーの日程をこなせるだけの体力があるのか、という声も上がっていたらしい。現在英国のピルトンで開催中のグラストンベリィ・フェスティバルでは演奏者たちがマイケルに対する追悼の意を表しているとか。

Glastonbury tribute for Jackson (BBC website)

ご冥福をお祈りします。

コメント

_ テット ― 2009/06/29 17:03

りあんさんこんにちは。

マイコーの急逝には吃驚しましたね。僕もりあんさんと同じく、ベスト盤1枚持っている程度で特にファンを自称するほどではありませんでしたが、彼の作る楽曲の魅力とエンターテイナーとしての魅力は特別なものがあったと思います。特に直情感動型?としては「昼沢」や「宮沢」だけで(済みませんheal the worldとwe are the worldです)ご飯10杯行けます。別に行かなくてもいいとは思いますが。

NHKのジョン・カビラ氏のコメント、僕も見ましたよ。ついでながら、その収録がなされたと思われるJ-WAVEの当日の放送も聞いていました。午前中いっぱい、ほぼ全曲マイコー漬けでした。当然だと思いますが。カビラ氏のコメント、特に「背負わされた」という表現には深く頷かされました。

アメリカのショービズ界って、ハリウッド映画が人気俳優を出ずっぱりにさせるスターシステムを取り入れた20世紀初頭から、人気者ほど金蔓として徹底的に絞り上げる体質が変わらずに続いてるんだなあと、門外漢ながらそんな感慨です。子どもの頃から出てくればなおさらで、古くはジャッキー・クーガンとかジュディ・ガーランドとか(古すぎますか)、最近だとマコレー・カルキン、ドリュー・バリモア、オスメント君なんかも(うろ覚え)。映画と音楽じゃ多少違うかもしれませんが、マイコーも子ども時代のエピソードや晩年の訴訟漬け隠遁生活を断片的に聞く限り、この系譜にどっぷり組み込まれてきたのかなあ、と思わないではいられません。

ともかく世界中の人たちをあれだけ楽しませてきたのですから、ゆっくり休んで欲しいですね。
R.I.P.(覚えたから使ってみました、てへ)

_ りあん ― 2009/07/03 01:01

テットさんこんにちは!お返事がすっかり遅くなってしまいました。

まいこー、そうですねぇ確かに驚きはしましたが、ここ最近はたまに公開される写真や映像を見ても健康そうにはとても見えませんでしたし、正直意外ではなかったような。何と言うか色んな意味で見る度「触っちゃいけない人」のような感じがしました。そういう状態にしてしまった、というか追い込んでしまった?本人の周囲の環境というのは、やはり米国の芸能界の特殊性によるところが大きいのかも知れませんね。近年浮上してきた色々な問題に本人の責任がないとは言いませんが、何しろ物心ついた頃からずっとその特殊な世界で生きてきた人ですし、一般人が家庭や学校で自然に身につけていく物事の判断基準や周囲の人との距離のはかり方なども、曖昧なままで大人になってしまったような感があります。

テットさんがおっしゃるように、人気者は年端も行かない子供だろうが何だろうが金蔓にして搾り取る、という米国ショウビズ界の体質はこれまでにも多くの犠牲者(と一概に言うのも語弊があるかもですが)を出していますし、端から見るとなぜ同じことを繰り返すのかとも思いますが、一方では結局一般民衆がそういう極端なスターの存在を求めている(あるいは、与えれば喜んで飛びつく)からこそいつまでもこのパターンが続くのが米国という国なのだろうとも思うので、カビラ氏の「背負わされた」という表現は本当に重みがある感じがしますね。と多少話の方向がずれましたが、マイケルは音楽的な魅力だけでなくいわゆる慈善活動などに対する人々の意識を高めることにも大きく貢献したと思いますし、後世に多くのものを残してくれたのは確かなので、本当にお疲れさまでした安らかに眠って下さい、と思います。

しかし「宮沢」は聞いたような気がしますが「昼沢」もあるんですね〜〜。「パン!」「茶」「宿直」を思い出してしまいました...ぷぷ。

ときに、カビラ氏がおられたあのスタジオっぽい場所、そうかなとは思いましたがやはりJ-WAVEだったのですね。個人的にはマイケル逝去の報のコメントに彼が出てきたことにちょっと驚いたので、おおージョン・カビラが日本の音楽業界代表でコメントをしている!と妙に感動してしまったのですが、考えてみたら例えば小林克也さんなんかだと既に社会人としてマイケルを聴いていた世代だと思いますが、カビラさんくらいの世代ってリアルタイムで一リスナーとしてジャクソン5あたりから聴いていて音楽(放送)業界に入ったのだろうし、まさに適切な人選なのかも知れませんね。まあ最近NHKによく出られることもあるのかも知れませんが、何より良いコメントをされてましたし、J-WAVE放送開始当時に彼やクリス・ペプラー氏に親しんだ身としては何となく嬉しかったり。

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